諸外国の文化:視点を変えれば世界が変わる2013/05/12 16:20

母の日 o(´▽`*)ノ
Googleのタイトル文字フラッシュが
面白い事になっていますね(´ー`*)
毎度、発想がユニークですね~。

今日は諸外国の文化について、また衝撃をうけました。
その事について書きたいと思います。
それはアラブ諸国(イスラム文化地域)の話です。
なんだ、イタリアの話じゃないのかと、がっかりされた方もおられるかも知れませんが、イタリアも日本とは異なる文化を持っているわけです。 国家間の歩み寄りや譲り合いがあって、価値観が同じだと錯覚するけど、それでもやっぱり多々驚くところがあります。文化的ものの考え方というのは、イタリアであれ、これから話すアラブ諸国であれ、日本と違いがあって、必ずしも自身の常識や価値観が正しいと言い切れない。
イスラム文化の話ですが、イタリア語を勉強している私にとっても関係のない話ではなく、あらためて他国と日本の文化の違いを知ることの面白さを知りました。
前置きが長くなってしまった・笑。
さて、私が衝撃を受けたのは、こちらの本に書いてあった「寄付(喜捨)」についてです。
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アラブの格言
著者:曽野 綾子
出版:新潮社

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寄付(喜捨)は、イスラム教においてはザガードと呼ばれるもの。イスラムの世界ではお金持ちが貧しい人に寄付をするのは義務。
そこで著者がオフィスにいるときに、寄付をもらいに来た女性2人に対して、男性の対応の違いについて、非常に興味深い事が書いてある。
2人とも貧しい方には違いがないが、貧困の度合いが違う。
私の感覚からすれば、より貧しい人の方へ多く寄付をするべきだろうと考える。だけど、男性は逆の行いをした。より貧しい女性の方に少なく渡したとある。
その行動のわけは「身分相応」。
これは一見、差別的に思えるかも知れないが、貧しさはどうする事もできない理由から至ったかも知れないし、怠惰さから至ったかも知れない。もし怠惰さから至ったのなら、何もせず金品を手に入れることは、より怠惰な方へ向かわせることになるのではないか?寄付によって、貧富の差を逆転させてはならない。
私はとても複雑な気持ちになった。こういう考え方もあるんだと。
寄付ではありませんが、今の日本の生活保護制度の事が頭を過ぎりました。
貧しい人、困っている人から救済して、余裕のある人はその次に、というのは、人道的に思えるし、自分が寄付するならより貧しい人へと思うけど、確かに貧富の差を「寄付」によってひっくり返してはいけないというのもわからんでもない・・・うぅぅうううーん・・・あぁぁああああああ
行動としてはまったく違う事ですが、どちらも「正しい」ように思えます。どちらが「絶対に正しい」と、私は言えません。ここは、郷に入っては郷に従えとなるのでしょうか・・・うぅ~ん、私は答えを出す事ができません。
異なる文化(海外の方々)との交流の中では「常識的に考えて」というのはナンセンスな言葉だなぁと改めて考えさせられました。
みなさまはどうお考えでしょうか。

最後に、この本の全体的な感想。男性社会の話を女性の著者が書いてあるところに最初は興味を持ち読みましたが、女性からの視点でなく、淡々とイスラム文化そのものについてアラブ諸国の格言を通して書いてあります。格言が語る世界はとても人間くさく興味深い。これまで知らなかった世界をのぞいた気分になります。

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